春の靖国神社では例年、境内で奉納プロレスも行われる。
今年も3月29日に「大和神州ちから祭り」が行われた。
この奉納プロレスについて、
靖国神社の社報最新号のコラム「 靖涛」で言及されていたので、
紹介する。 奉納プロレスの歴史も古く、 今から54年前の
昭和36年4月23日、 相撲場に特設リングを設置し、
力道山、ジャイアント馬場、 アントニオ猪木各氏以下26名の
レスラーにより奉納され、 約2万5千人もの大観衆が集まった。
しばらく奉納は途絶えたが、
その歴史を知ったプロレスラー橋本真也氏からの申し出により、
平成17年4月に再び開催され、以後、恒例行事となっている。
その前年6月に奉納を申し出た橋本氏は、正式参拝した後、
みたままつり雪洞(ボンボリ) に破壊王のニックネームで
親しまれた氏の言葉らしく『破壊、 創造、誕生』と揮毫した。
氏が奉納プロレスのリングに上がることはなかった。
運営上の問題から団体を離れ、 奉納プロレスが開催された
同年7月には帰らぬ人となった。
その後、橋本氏の奉納プロレスへの思いは長男に受け継がれ、
橋本大地選手は平成23年、 東日本大震災の復興への願いを込めた
奉納プロレスでリングに上が り、観衆から大きな拍手で迎えられた」
― このコラムはどなたが書かれたのか。
それはともあれ、 こうした事実を丁寧に取り上げられた
心ばえの濃やかさに、 打たれた。
今年も3月29日に「大和神州ちから祭り」が行われた。
この奉納プロレスについて、
靖国神社の社報最新号のコラム「
紹介する。
「
昭和36年4月23日、
力道山、ジャイアント馬場、
レスラーにより奉納され、
その後、
その前年6月に奉納を申し出た橋本氏は、正式参拝した後、
親しまれた氏の言葉らしく『破壊、
しかし、
この年、
同年7月には帰らぬ人となった。
その後、橋本氏の奉納プロレスへの思いは長男に受け継がれ、
奉納プロレスでリングに上が
―
およそ察することも出来る。
それはともあれ、
心ばえの濃やかさに、